空手の起源や伝統を語る際に、頻繁に登場するのが「首里手」「那覇手」「泊手」の三つの流派です。これらの流派は、空手が「唐手」と呼ばれていた時代、さらにはその前身である「手」の時代にまで遡ることができます。この三つの流派は、それぞれ異なる地域で発展し、独自の特徴を持っています。
唐手とその地域的背景
空手が現代に至る前は、「唐手(トーディー)」と呼ばれ、さらにその前は「手」として知られていました。この時代について詳しくはコチラの記事をご参照ください。
また、本土四大流派と沖縄三大流派についても併せてご覧ください。
唐手は、中国拳法と融合して発展し、士族の多かった首里、那覇、泊を中心に広まりました。1800年代末期には、これらの地域名を冠して「首里手(スイディー)」「那覇手(ナーファディー)」「泊手(トゥマイディー)」と呼ばれるようになりました。
首里手(スイディー)
首里手は、政治の中心地であった首里で発達した武術です。首里の「士(サムレー)」たちによって受け継がれ、長い歴史の中で多くの名武術家たちに伝えられてきました。
首里手の系譜は、佐久川寛賀から松村宗棍へ、そして宗棍から糸洲安恒、安里安恒、多和田真睦、喜屋武朝徳へと続きます。さらに、屋部憲通、花城長茂、徳田安文、城間真繁などへ受け継がれ、これが小林流の知花朝信、松濤館流の船越義珍、糸東流の摩文仁賢和などに影響を与えました。また、喜屋武朝徳の系統からは少林流・少林寺流が派生しました。
那覇手(ナーファディー)
那覇手は、商業の中心地であり、海外への玄関口でもあった那覇で発展しました。特に福州との関係が深く、久米村(クニンダ)は福州を中心にした中国系渡来人の居住区でした。このような国際的な環境の中で育まれたのが那覇手です。
那覇手の系譜は、東恩納寛量から始まり、糸東流の摩文仁賢和、剛柔流開祖の宮城長順へと受け継がれました。
泊手(トゥマイディー)
泊手は、泊地域で発達した武術で、宇久嘉隆と照屋規箴が元祖と言われています。嘉隆と規箴から親泊興寛、山田義恵、松茂良興作など泊地方の「士(サムレー)」たちによって受け継がれました。泊手を代表する武術家としては松茂良興作が挙げられ、その系譜から長嶺将真を開祖とする松林流が派生しました。また、少林流系に多大な影響を与えた喜屋武朝徳も泊手を継承しています。
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この記事が皆さんの空手の理解を深める一助となれば幸いです。