
空手、音楽、海外営業。田中先生は、道場の外でさまざまな経験を重ねながら、自分のやりたいことを相手や場に合わせて形にする力を身につけていった。
最終回では、3代目代表として誠空会を引き継いでからの歩みをたどる。
突然の代表交代、会員数の減少、場所の移転、道場の見せ方の工夫。そして、武道や格闘技に関わる人が働ける環境をつくりたいという思い。現在の誠空会が今の形になった理由が、そこにあった。
【第1回】孫悟空に憧れ、一人で型を磨いた少年。誠空会 3代目代表・田中幸尚先生をつくった原点
【第2回】バー、音楽、海外営業。田中幸尚先生が道場の外で得た「空手だけでは学べない」こと
Contents
突然の代表交代、そして会員が減っていった
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誠空会の転換期は、突然やってきた。

初代館長の碇井先生が病気を理由に退かれ、2代目へと引き継がれた。しかし、その後も道場の状況は安定せず、練習場所も公民館へと移っていた。そんなある日、当時の代表から「閉める」という言葉が告げられる。
田中先生は即断した。
「じゃあ、自分がやります」
迷いはなかった。当時、小学生の会員が出場する全国大会も決まっていた。道場を閉めるわけにはいかない。そう考えた田中先生は、事業を引き継ぐために動き出す。

決算書を見ても、最初は何をどうすればいいのかわからなかった。ならば、聞きに行けばいい。田中先生は、ビーサンと短パン姿のまま、神戸の法務局へ向かい、窓口の担当者に聞いた。「会社ってどうやって立てるんですか」と。
必要書類を教えてもらい、帰って用意して、また持っていく。「不備があります」と言われたら直して、また持っていく。そのやりとりを繰り返しながら、1〜2週間で会社を立ち上げ、事業譲渡の書類をつくり、銀行やネットの契約もすべて自分で切り替えた。
「やったことがないことは面白い。まるでゲームみたいに、ただ、言われた通りにミッションをクリアしていった感覚ですね」
しかし、3代目代表としての船出は順風満帆ではなかった。
「僕はバーンと大きい声を出して言うから、怖いとか、厳しいとかいう理由で辞めていく人も多くてね」
田中先生に代わったことで道場の雰囲気は変わった。もともと100名ほどいた会員は、最も少ない時期には50名ほどまで減ったという。
会社を立ち上げ、事業を引き継ぐという一つのミッションを終えたと思ったら、今度は道場そのものを立て直すという課題が待っていたのだ。
1年間で10万枚、ファミリー層を狙い定めて配り歩いたビラ
代表を引き継いだものの、大人の練習時間にはなかなか人が来ない。ならば、と田中先生が取った行動はビラ配りだった。

チラシのデザインは自分で行い、印刷会社に発注する。1年間で配った数は、約10万枚。それを一人ですべてこなした。
「小学生が住んでいそうな地域に目星をつけて、ファミリーカーや子ども用の自転車があるところ、洗濯物なんかを見ながら配っていました。泥棒だと思われていないかなと思いながら(笑)、そういうのをチェックして狙いを定めていましたね」
特に大型マンションは、一度に多くのチラシを配ることができる。効率がいい場所を考えながら、何度も足を運んだ。
「冬場は寒いし大変でしたけど、ビラを配ったところから人が来ると、『お、策略にはまってきたな』とうれしくなりました。子どもが入会して、その保護者も通うようになって、そのつながりで増えていきましたね」
その結果、1年で21人が入会したという。
セレモニーもなく移転した日
ビラ配りを続けるなかで、田中先生は空き店舗にも目を向けるようになった。そこで見つけたのが、現在の道場の場所だった。
それまで誠空会は、前述のように、公民館のような場所で練習していた時期があった。
「毎日、僕、畳を敷いていたんですよ」
練習のたびに畳を敷き、終われば片づける。専用の道場ではなかったため、毎回そうした準備が必要だった。
現在の場所については、最初、騒音を気にされていたという。しかし音量測定をした結果、問題ないことがわかった。関係者も協力的で、現在の場所への移転が決まる。
「移転することを伝えたのは、1か月前くらいかな。2022年6月1日オープンだったんですけど、前日まで普通に練習していました。まぁ、子どもたちには『狭くなった』と文句を言われましたけどね(笑)」

大きな節目でありながら、特別なセレモニーがあったわけではない。前日までいつもの場所で練習し、翌日からは新しい場所で練習する。そんなふうに、誠空会は現在の道場へと移っていった。
そしてこの移転は、道場の見せ方そのものを見直すきっかけにもなっていく。
「怖そう」な道場から、入りやすい道場へ
「大人で空手をやりたいという人は、なかなかおらんなと思って」
そこで田中先生は、当時ブームになっていたキックボクシングを前面に出すことにした。
同時に看板の見せ方も変えた。それまで「誠空会」という文字が大きく掲げられていたが、「〇〇会」という名前は、少し怖そうに見えるのではないか。そう考え、ローマ字表記を取り入れた。
「道場を経営している先輩からは、〇〇ジムみたいな別の名前にしたらとすすめられたんです。でも、それはちょっとさみしいなと思って。だから、名前は残しながら、できるだけ外見をポップにしようと考えました」
色も変えた。以前は赤がメインで、その前は黒と白だった。赤はエネルギッシュな印象がある一方で、ほかの空手道場でもよく使われている。
田中先生が選んだのは、青とオレンジだった。
「ドラゴンボールの青とオレンジって、いいよなって思って。子どもたちにもポップに見えるかなと」

道場の配置も、自分で考えた。
「イラストレーターを使って設計して、本当はリングを置きたいと思って寸法を測ったんです。けど、『あかんわ』って気づいて(笑)」
思い描いたものがすべて実現したわけではない。それでも、空手道場らしさを残しながら、外から見たときに入りやすく見える場所へ。田中先生は、道場の印象を少しずつ変えていった。
その工夫は、少しずつ結果にもつながっていく。70人、80人ほどで伸び悩んでいた会員数は、移転後に100名を超え、2026年現在では130名近くまで増えている。
先生一人の頑張りに頼らない道場へ
会員数は増え、道場運営は少しずつ軌道に乗っていった。
では、次なる目標は何なのだろうか。田中先生に尋ねると、返ってきたのは「道場運営の仕組み化」という言葉だった。
「武道は昔から、お金もうけをしたらあかんというイメージがあるでしょう。それを変えたいんです。
野球やサッカーのプロになれる人は一握りです。でも、それらに関わることで生計を立てている人はたくさんいる。けれど、武道だけで生計を立てている人は少ない。
武道をしてきた人が、将来も続けていきたいと思ったときに、ここで就職できる場所にしたいんです。もちろん、一人で回せる限界も来ているので、自動化はしていきたいところですね」
これまで続けてきた武道や格闘技を仕事にできる。そこで収入を得ながら、自分の時間も持ち、ほかにやりたいことにも挑戦できる。そんな働き方ができる場所をつくりたいという。
そのためには、田中先生一人がすべてを抱え込むのではなく、道場そのものが回っていく仕組みが必要になる。人が担うべきところと、仕組みで支えられるところを分けていく。最近、田中先生がAIに関心を寄せているのも、その延長線上にある。
道場運営を一人の頑張りに頼らず、より続けやすい形にしていくために、使えるものは取り入れていきたいと考えている。
伝統の型は残す。けれど、時代に合わせて変わっていい
田中先生は、道場が変わっていくことを否定しない。代表が変われば、道場の色も変わる。指導する人が変われば、考え方や雰囲気も少しずつ変わっていく。それは自然なことだと考えている。
「僕は僕の色があるし、人には人の色があるし。そもそも武道って“一人の道”ですからね。その人の考え方で変わってもおかしくない」
一方で、変えてはいけないものもある。田中先生が残したいと考えているのは、誠空会という名前、そして空手の型である。
「型は碇井先生の時代に簡単なものにしているんです。でも、僕は伝統空手に戻した。それはルーツとして残したいなと」
ただ、田中先生は「昔のまま変えてはいけない」と考えているわけではない。
伝統空手があり、直接当てる極真空手が生まれ、顔面ありのルールができ、投げ技や寝技も取り入れられていく。武道や格闘技は、時代に合わせて少しずつ変わってきた。
だからこそ、誠空会も変わっていい。最近では、自衛隊の人たちと対ナイフの練習に取り組むこともあるという。
「今まではそんな練習をしていなかったけど、面白いじゃないですか。この技はこういうふうに使えるなとか、この動きはキックの試合でも使えるんじゃないかなとか。研究会ですよね」
田中先生にとって、空手は完成されたものをただ守るだけのものではない。
知りたい。試してみたい。どう使えるのか考えたい。そうやって研究し続けるものでもある。
「僕は元々、『知りたい』という気持ちがあるんです。やり始めたから気になって、気になって知ってきたから面白い。面白いから続いているんだと思います。型が面白くなってきたのは、本当にここ数年ですね」
これからの誠空会へ
本人は、自分の歩みを「行き当たりばったり」と表現する。だが、その言葉には続きがある。
「行き当たりばったりをつじつま合わせるのが、多分、得意なんです」
気になったものを掘り下げ、目の前のミッションをクリアし、気づけば次の場所へ進んでいる。最初から大きなゴールを決めて走るというより、ちょっと先が気になるから動く。その繰り返しが、今の誠空会をつくってきた。
田中先生が幼いころに憧れた孫悟空は、純粋に強い相手と戦いたかっただけなのかもしれない。世界を救うとか、誰かのためにとか、そういう意味は後からついてくる。本人はただ、目の前の強い相手に向かっていく。
田中先生の歩みにも、どこか似たものがある。空手も、音楽も、海外での仕事も、道場運営も、最初から意味づけをして始めたわけではない。気になったからやってみる。面白いから続ける。壁が来たら考える。
「僕は結局、自分勝手に好きなことをやってたいというだけです」
本人はそう笑って言う。けれど、そうして進んできた先に、人が集まり、子どもも大人もそれぞれの目的で通える場所ができた。
変えるものは変え、残すものは残す。
そして、面白いと思ったものは、まず試してみる。
田中先生はこれからも、そんなふうに誠空会の可能性を少しずつ広げていくのだろう。

取材・文/山田優子
写真提供/田中幸尚先生
【第1回】孫悟空に憧れ、一人で型を磨いた少年。誠空会 3代目代表・田中幸尚先生をつくった原点
【第2回】バー、音楽、海外営業。田中幸尚先生が道場の外で得た「空手だけでは学べない」こと
1977年から続く伝統と、現代格闘技として磨かれた実戦性を両立する道場。スポーツではなく「武道」として空手を学びたい方へ。
