
誠空会に集う個性豊かな人たちに話を聞く連載「誠空会の人たち」。
第三弾に登場するのは、渡邉房光さんだ。
65歳にして「FIRST MATCH」 のリングに立ち、10歳若い相手から勝利を収める。一方で、仕事では長年、紀伊國屋書店に勤務。現在は世界的建築家・安藤忠雄氏の大規模な展覧会やサイン会などで、実務責任者として現場を仕切る顔も持つ。
38歳で初めて道場を訪れ、幾度か離れながらも64歳で再び戻ってきた渡邉さん。その根底には、約20年仕事を共にしてきた安藤氏の「いくつになっても挑戦する気持ちを捨てたらあかん」という哲学が息づいていた。
仕事でも、格闘技でも「やると決めたら諦めない」。その姿勢が貫かれた、これまでの歩みに迫る。
Contents
38歳、「この歳から空手なんてできるんかな」
渡邉さんが初めて誠空会を訪れたのは、40歳を目前にした頃だった。
兄が少林寺拳法の師範をしていたため、小学生の頃にまねごとのような経験はあったものの、本格的な空手は初めて。それまで剣道やバレーボール、フルマラソンなどに取り組んできたが、仕事が忙しくなり、長らく競技スポーツから離れていたという。
そんなとき、たまたま近所に誠空会の道場ができた。
「案内を見て、40前で『空手なんか……』と思ってたんですよ。この歳から格闘技なんてできるもんかなって、すごく不安でした」
背中を押したのは、初代館長の碇井伸吾氏だ。話してみると、偶然にも渡邉さんと生年月日がまったく同じで、縁を感じたという。
「碇井さんから『十分できますよ』と言ってもらって。それなら1回行ってみようかなと思ったんです」

渡邉房光さん
誠空会には、それぞれのレベルに合わせた練習が用意されていた。渡邉さん自身、試合に出たい、強くなりたいという明確な目的があったわけではなく、ただ身体を動かしたかったという。
渡邉さんが入会してしばらくすると、当時高校生だった田中幸尚さんも道場に通い始めた。現在3代目館長を務める幸尚先生とは、その頃から顔を合わせてきた。
初めて経験する空手は、すべてが新鮮で、何より楽しかったという。さらに練習を重ねるうち、格闘技ならではの感覚にも気づいていった。
「スパーリングをして、だんだん息がはぁはぁしてくるでしょう。そうなったら、人間は息することが最優先になる。嫌なことがあっても、もう考えられないんですよ。頭が一旦、真っ白になる」
息をすることに精いっぱいになると、それまで頭を占めていた仕事や日常のことが、ふっと遠のいていく。
もともと運動が好きだった渡邉さんにとって、何かに真剣に取り組み、頭を空っぽにできる時間は、とにかく気持ちのよいものだった。
64歳で戻った道場。そこからリングに立つまで
とはいえ、渡邉さんはその後ずっと誠空会に通い続けてきたわけではない。
転勤で数年間離れた時期もあれば、仕事の忙しさや道場の移転によって足が遠のいた時期もあった。
転機となったのは64歳の頃である。
2018年に田中幸尚さんが3代目代表に就任し、誠空会は2022年、池田駅前に現在の道場をリニューアルオープンした。渡邉さんはその存在をSNSで知った。
たまたま池田に仕事で来る機会があり、「久しぶりに幸尚先生に挨拶でも」と手土産を持って道場を訪れた。その時点では、再び本格的に格闘技を始めるつもりはなかったという。
ところが再び道場に通うようになり、今度はそれまで経験のなかったキックボクシングを始めた。そして幸尚先生に勧められ、64歳で「FIRST MATCH」のリングに立つことになる。
「まさか試合に出るなんて思ってなかったですよ。僕の年齢でいけるんかな、相手はどんな人かなって。めちゃめちゃ怖いんです」
その怖さは、試合会場に着いてからも続いた。
「あの人、僕の相手かな」と周囲を見渡し、相手かもしれない選手がアップする姿を見て「強そうやな」と感じる。そんな時間が怖かったという。
だからこそ、準備を重ねた。
自宅のある豊中から箕面の勝尾寺まで、自転車で坂道をノンストップで上る。縄跳びは5000回、時には1万回。筋力をつけること以上に意識したのは、心肺機能だった。

写真:田中幸尚先生のInstaguramより
「僕らぐらいのレベルやったら、技術以上に心肺機能やと思ったんです。試合でお互いフラフラになったら、ガードも下がるでしょう。最後はいかに立っていられるか、息ができるかになるから」
初めての「FIRST MATCH」に向けては、77キロほどあった体重を70キロまで落とした。試合はレフェリーストップで敗れた。
それでも翌年、65歳でもう一度リングに立った。今度の相手は、自身より10歳ほど若い選手だった。
この試合に向けては、77キロほどから67キロほどまで減量。前日にもサウナで水分を抜き、リングに上がった際には足がつるハプニングもあった。
「水分を抜きすぎて。でも、それはそれで良かったですけどね。みんなにウケたんで(笑)」
それでも試合では勝利した。
「2年目はちょっと余裕が出てきたのか、相手の動きがよく見えていました」

リングの上で試合を終え、やりきった表情を見せる渡邉さん
試合について渡邉さんは、「勝っても負けても、全力を尽くしてキックを楽しむ。自分がやってきたことの、一種の発表会みたいなもんやと思っています」と話す。

写真:田中幸尚先生のInstaguramより
現在も、練習後には心肺機能を維持するためのトレーニングを続けている。
「年齢を考えたら、散歩とかでもいいのでしょうけどね。ただ、みんなと一緒に練習して、少しでも上手くなりたいという目標があると、全然違いますよね。目標がないと、どうしても燃えないんですよ」
目標がないと燃えない。その感覚は、渡邉さんの仕事人生にも通じるものがあった。
「諦めないことかな」ゼロから仕事をつくってきた
渡邉さんは大学受験を浪人した後、新聞の公募を見て紀伊國屋書店に入社した。その後、店舗で経験を重ね、やがて複数店舗を統括する副支配人も務めた。
現在も継続雇用で働きながら、医学系の学会に出向いて専門書を販売する仕事などに携わっている。この仕事も、始まりはまったくのゼロだったという。
「会社が今までやったことのないことを、上から『やってみろ』と言われて。どうしたらいいかも分からないんですよ」
そうした前例のない仕事が、なぜかよく渡邉さんのもとに回ってきた。
「失敗しても『あいつのせいにしとけばええ』っていうのもあったんでしょうけどね(笑)」
それでも「できません」とは言いたくなかった。むしろ、難しい仕事を任されるほど気持ちに火がついた。
「逆に燃えますよね。『見とけよ』と思って。やっとるわいって」
試行錯誤しながら一つずつ形にし、ゼロから始めた仕事は、やがて何億円という規模の事業にまで育った。

紀伊國屋書店の仲間たちと
振り返れば、渡邉さんは昔から何でも器用にこなせたわけではない。
高校では、それまで経験のなかったバレーボール部に入った。1年生は25人ほど。その中で「自分が一番下手だった」と振り返る。
それでも練習を続け、やがて副キャプテンを任されるまでになった。会社に入ってからも実業団でプレーし、大阪代表に選ばれた経験もある。
高校時代、今も記憶に残っている光景がある。
自分がレシーブを失敗し、到底届きそうにないところへボールが飛んでいった。それでも先輩たちは、一斉にそのボールを追ったという。
「絶対取れへんボールですよ。それでもみんな飛んでいくんです。『この人たち、僕がミスしたのに頑張ってくれてるんや』と思うと、諦めたらあかんなって」
当時の仲間たちとは、50年以上経った今も付き合いが続いている。
渡邉さんは、もともと諦めない子どもだったわけではないという。むしろ幼い頃は、嫌になるとすぐに泣いて帰ることもあった。
それでも、恩師や先輩、仲間たちの姿を見ながら、「諦めない」という姿勢を少しずつ身につけてきたのかもしれない。
安藤忠雄氏と約20年。「挑戦する気持ちを捨てたらあかん」
渡邉さんの仕事人生に欠かせない人物がいる。建築家の安藤忠雄氏だ。
安藤氏の事務所が紀伊國屋書店の近くにあったことをきっかけに、約20年前から書籍に関する仕事を担当するようになった。その後、全国各地の講演会やサイン会にも同行し、大規模な展覧会の運営にも携わっている。
2025年3月20日から7月21日まで、グラングリーン大阪 うめきた公園 ノースパークの「VS.(ヴイエス)」で開催された「安藤忠雄展|青春」では、サイン会やショップを含む現場運営を担当。名目上の責任者を支えつつ、渡邉さんが実務責任者として現場を仕切った。

安藤忠雄展の会場となった『VS.』の外観


現場で指示を出す渡邉さん

図録やオリジナルグッズが並ぶ会場内の販売スペース

「安藤忠雄展」を支えた紀伊國屋書店の安藤展メンバー
サイン会には一度に500人ほど並ぶこともあった。長期間にわたる運営をチームで乗り切り、展覧会は大成功に終わった。

安藤忠雄氏のサイン会会場
「すごいですね」と伝えると、渡邉さんは「安藤先生がすごいだけで」と笑う。
もっとも、最初から安藤氏に好印象を抱いていたわけではない。
「最初はすごい嫌やったんですよ(笑)。ポンポン言ってくるし、『何してんねん』とか言われるから、めんどくさいなって」
しかし、20年近くその姿を間近で見続けるうち、印象は変わっていった。
渡邉さんが特に惹かれたのは、安藤氏のお金の使い方と、清貧ともいえる生き方だった。
講演や書籍など建築以外で得た収入を自分のために使うのではなく、震災で親を亡くした子どもたちへの支援や緑化活動、子ども図書館など、さまざまな社会貢献に充ててきたという。

取材を受ける安藤忠雄氏
一方、自身の暮らしは驚くほど質素だ。
高松へ仕事に行った際、先方が立派な店を用意しようとしていても、安藤氏は市民会館の食堂を見つけて「ここでええやん」と入り、「見てみい、500円でコーヒーついてる」と喜んでいたという。
「生き方として、すごくかっこいいですよ。口は悪いけど、やっていることが違いすぎる。僕には絶対まねできないです」
そして、安藤氏が繰り返し口にする言葉がある。
渡邉さんが「もう歳ですから」と言えば、「何言うてんねん。人間いくつになってもな、挑戦する気持ちを捨てたらあかん」と返ってくる。
「何かに向かってやっていることが青春であって、青春に年齢は関係ない。先生の講演会で何百回も聞いていますけど、そこはなるほどなと思いますね」
安藤氏と同じことは自分にはできない、と渡邉さんは言う。それでも、20年近くそばで見てきた生き方や、「挑戦」という言葉は、渡邉さんの中にも残っている。
年長者だからこそ、自分が先に動く
誠空会で渡邉さんを見ていて印象に残るのは、年齢を感じさせない運動量だけではない。
年齢にかかわらず誰に対しても丁寧な言葉で接し、練習が終われば率先して掃除を始める。
渡邉さん自身は「昔の昭和の体育会系」と話す。しかし、年長者の役割についての考え方は、かつての体育会系とはむしろ逆だ。
昔は1年生や後輩が雑用を担うことも多かった。一方で今は、強いチームほど上級生や年長者が先に動くケースもあるという。
「僕ら年長者が一番最初に掃除をやる。そうすると自然と下の人もやるようになるじゃないですか」
「あいつ、やれへんな」と言うのではなく、まず自分が動く。
「いつかその子が上になったときに、『自分もせなあかんのかな』って分かってくれたら。それでいいんです。対価を求めるとあかんのやろうなと思いますね」
練習でも同じである。
若い会員たちと一緒に100本の蹴りをこなし、「あえて若い人に見せるためにやっているところもありますよ」と話す。

誠空会公式YouTube「【最終回】試合の結末は?ど素人、気合の一撃|ファーストマッチへの道」より
もちろん、年齢を無視して無茶をするわけではない。「実際、危ないことはできない」と、自身の身体の状態も受け入れている。
それでも「歳やから」を、やらない理由にはしたくない。
「僕がちゃんとした行動をして、頑張れば、幸尚先生も若い子に『渡邉さんがやってるやろ』と言いやすいでしょう。僕らが頑張ることで、この道場が少しでも良くなるんであればと思ってるんです」
「競技は個人戦やけど、団体戦」
長く誠空会を見てきた渡邉さんは、現在の道場を「温かい場所」だと話す。
高校生や大学生もいれば、会社員もいる。年齢も仕事も異なる人たちが、同じ場所で身体を動かしている。
「会社勤めの人間にとって、自分の会社以外の世界があるというのは、ものすごい心の支えになっているかも分からないですよ」
社会でどんな肩書きを持っているかは、道場ではほとんど関係がない。自分より若い人から教わることもあれば、初めて試合に出る人を経験のある人が支えることもある。
渡邉さん自身も今は、試合に出る会員をサポートする側に回ることが増えた。
「競技は個人戦やけど、団体戦なんですよ」
リングに立つのは一人である。しかし、そこまで一緒に練習してきた仲間がいる。リングサイドから声をかける人がいる。勝っても負けても、迎えてくれる人がいる。

2026年7月19日、大阪市平野区民センターで開催された「FIRST MATCH」 での集合写真
だからこそ渡邉さんは、自分が通うこの場所を少しでも支えたいと考えている。
自身も長年、店舗運営で数字を追ってきただけに、幸尚先生の指導力だけでなく、経営者としての手腕にも敬意を抱いている。
「技術もすごいですけど、道場の経営もしっかりされている。数字もちゃんと見ながらやってはるんで、すごいなと思います」
一度は厳しい状況にあった誠空会を立て直し、現在の道場へとつないできた姿も見てきた。
「ここまで誠空会が残ってくれたこともすごいと思うし、少しでも幸尚先生のお役に立てればというのが、今一番の気持ちですね」
休むことはあっても、「こうしてみたい」は忘れない
38歳で空手を始めた。仕事や転勤で何度も離れながら、64歳で道場へ戻った。65歳でリングに立ち、2026年9月には68歳を迎える。
では、渡邉さんにとって「挑戦する」とは何なのだろうか。
「人生100年時代でしょう。そうなったときに、常に新しいことに取り組んでいないと、前向きな人生にはならないんじゃないかなと思うんです」
別に空手やキックボクシングでなくてもいい。
大げさな目標を掲げる必要もない。
何かを「やってみたい」と思えること自体が、自分の人生を前へ動かす力になる。
もちろん、渡邉さんにも心が折れそうになった経験はある。
何でも乗り越えられるわけでもなければ、ずっと走り続けられるわけでもない。
だからこそ、最後に語った言葉が印象に残る。
「絶対に諦めないこと。諦めると、それ以上前に進まないので。休むことはあったとしても、『こうしてみたい』という気持ちは忘れない方がいいんじゃないかな。まあ、自分の人生経験からそう思うだけで、押し付けるものじゃないですけどね」
渡邉さんは「もう歳だから」と自分から可能性を閉じることはしない。
できる範囲で自分が先に動き、その姿を若い世代に見せる。
「青春には年齢は関係ない」。安藤忠雄氏から何百回も聞いてきたその言葉を体現するように、渡邉さんは今も、誠空会で挑戦を続けている。

取材・文/山田優子
写真提供/渡邉房光
個別の目的・体力・体型に合わせて専属トレーナーが指導。ダイエット・体力向上・競技準備まで結果に直結する稽古です。
